プロレス大好き 新日の若手凱旋の話
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プロレスは、初代タイガーマスク前から 大好きですが、
新日本プロレスが、海外武者修行から帰ってきてのインパクトは、色々ありますが
同じ年齢・京都市出身の天山選手のインパクトは、凄かったなぁ
動画など・・話し方聞いていたら天山選手は、めっちゃイイ人ですね
新日本プロレスでいう「若手の凱旋(がいせん)」は、いわゆる “ヤングライオンの海外遠征からの帰国” を指します。
流れ
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ヤングライオン時代
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道場で黒タイツ・黒ブーツで基礎を学ぶ
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東京ドームや巡業にも出るが、基本は前座で経験を積む
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海外遠征(エクスカーション)
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メキシコのCMLL、アメリカのNJPW STRONGやROH、イギリスのREVPROなどへ派遣
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各地のスタイルを吸収して成長
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凱旋帰国
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新しいコスチュームやキャラ、技を携えて本隊に復帰
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凱旋試合(シリーズのメインや後半カード)でファンにお披露目
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多くは一気にシングル戦線へ進出し、スター候補となる
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有名な凱旋例
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棚橋弘至:メキシコから帰国 → エース街道へ
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中邑真輔:遠征経験後「ストロングスタイル」を打ち出し三冠王者へ
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内藤哲也:メキシコ帰りでロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンの礎に
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オカダ・カズチカ:TNA経由 → 2012年に“レインメーカー”として衝撃の凱旋
最近では 成田蓮・海野翔太・辻陽太 らが凱旋しており、新世代「闘魂三銃士」とも呼ばれています。
🐂 天山広吉の凱旋とは
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1991年に新日本プロレスに入門。
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ヤングライオン時代を経て、1993年に海外遠征(ドイツ → メキシコCMLL)へ。
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メキシコで「モンゴリアン」スタイルを吸収、髪も伸ばし、キャラも一変。
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1995年に凱旋帰国し、黒のロングタイツ&モンゴリアンチョップで登場。
🌀 かきまわした理由
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従来の日本人像を覆すキャラ性
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無口で朴訥な「武骨」タイプではなく、怪しいモンゴル風の動きや独特の表情。
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当時の新日リングでは異質で、観客の目を一気に引いた。
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いきなり上位戦線に組み込まれた
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凱旋直後から蝶野正洋のnWo JAPAN入り。
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そのままヒール軍団の中核を担い、既存の派閥抗争を大きく動かした。
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“外国人キラー”からヘビー級戦線へ
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外国人レスラー相手に強さを見せつけ、後にIWGPヘビー・タッグでも実績を残す。
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最終的には三銃士世代の次を担う存在に。
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つまり天山の凱旋は「黒タイツの若手」から一気に「ヒール色の強い個性派レスラー」に化けて、
新日の抗争構図をひっくり返した=“かきまわした”わけですね。
まさに 天山広吉の凱旋劇=新日の抗争構図を揺るがした瞬間 なんです🔥
🐂 天山広吉 凱旋帰国後の流れ
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1995年 凱旋帰国。
メキシコ仕込みのロングタイツ&モンゴル風キャラで帰ってきて、若手時代のイメージを一掃。 -
帰国当初は、若手から中堅・ベテランまで試合でぶつかりまくり。
「あいつは何者だ?」「急にキャラ変して生意気だ」と、リング上でもバックヤードでもゴタゴタ。 -
その中で頭角を現し、蝶野正洋が立ち上げた nWo JAPAN に加入。
👉 これが大きな転機。
🔥 “揉めにもめて蝶野のところに” の意味
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新日本の伝統は「正統派=本隊」ですが、天山はそれに馴染まず。
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武藤・橋本らの「三銃士」とは違う立ち位置で、自分のキャラを押し出した。
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本隊のベテラン(長州・藤波)とも若手勢(永田・中西)とも折り合いがつかず、結果的に 蝶野率いるヒール軍団に流れ着いた。
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そこから “天コジ(天山&小島聡)” の黄金タッグが誕生。
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天山はヒールでありながら、実力でファンからも支持を得る存在になった。
💡 ポイント
天山の凱旋は、
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新日道場育ち=本隊所属 という既成概念を壊した。
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ヤングライオンからいきなりヒール軍団に飛び込んだ最初のケースに近い。
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本隊・維新軍・UWF系の抗争構図に「nWo JAPAN vs 新日本隊」という新しい図式を加えた。
1995年に行われた天山広吉の衝撃的な凱旋帰国マッチ、若手からベテランまで巻き込んだ大混乱の様子を、当時の試合を中心に詳しくご紹介します。
1995年1月4日:東京ドーム 凱旋帰国デビュー戦
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天山は海外武者修行を終えて、1995年1月4日の東京ドーム興行で凱旋帰国しました。
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同年2月4日には、札幌中島体育センター大会で当時IWGPヘビー王者だった橋本真也への挑戦が組まれるほど、急速に上位戦線に浮上しました。
1995年2月12日:後楽園ホール 昼夜興行 ⇒ 「平成の乱」
この日は本当に伝説です。昼の維震軍の自主興行と夜の本隊興行のダブルヘッダー形式でしたが、完全に一日の流れが壊れた名シーンの連続でした。
昼の部:平成維震軍興行
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越中詩郎が「一緒にやろう」と勧誘するも、天山はモンゴリアンチョップで拒否!
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小原道由とのシングル戦が組まれましたが、天山が変形サイドバスターで圧勝し、さらにファンの心を鷲掴みに。
夜の部:新日本本隊興行
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長州力、橋本真也、平田淳嗣組 vs 蝶野正洋、天山広吉、ヒロ斎藤組のカードが実現。ここに天山のヒール参入が明白に。
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試合中、天山はジャンピング頭突き(猛牛飛び込み頭突き)を連発、さらに合体パイルドライバー、コーナーからのダイビングヘッドバットで長州を撃破。
試合後の大乱闘
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控室では長州が激怒し、イスを振り回しながら「お前ら選手会の問題だろうが!」と橋本・平田へ怒声を浴びせたことでも話題に。
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蝶野&天山(およびヒロ斎藤)が乱入し、場内外で混乱が広がりました。この一夜こそ「平成の乱」と呼ばれる所以です。
その後の流れ:ヒールユニット結成と武藤戦など
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この乱の流れを受けて、天山は蝶野、ヒロ斎藤とともに「狼軍団」を結成。後に「nWo JAPAN」として活躍。
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1995年6月6日(あるいは14日)、日本武道館でIWGPヘビー級王者 武藤敬司に挑戦するも、惜しくも敗退。
凱旋試合
日付 | 興行内容 | 内容のハイライト |
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1995年1月4日 | 東京ドーム凱旋帰国 | 大舞台で一挙に注目 |
1995年2月4日 | 札幌で橋本への挑戦 | 上位戦線への急浮上 |
1995年2月12日昼 | 維震軍勧誘拒否 → 勝利 | モンゴリアンチョップで一喝 |
1995年2月12日夜 | 本隊に乱入 → 長州撃破 | 頭突き・パイルドライバー炸裂 |
1995年2月12日夜後 | 控室大乱闘・長州激怒 | 観客にもマスコミにも伝説化 |
1995年6月 | 王座挑戦 | 武藤とのタイトルマッチ実現 |